毎年正月の風物詩となっている「箱根駅伝」。
今年の箱根駅伝では ”青山学院大学” が見事3連覇と、史上4校目となる大学駅伝3冠で幕を閉じました。
かつては箱根駅伝本戦出場もかなわなかった弱小チームをここまで強くしたのが何を隠そう原晋監督なのです。
今回は、原晋監督の凄さや名言、著書などについて紹介したいと思います!
原晋監督 プロフィール
【原 晋】(はら すすむ)
生年月日:1967年3月8日
出身地:広島県三原市糸崎町出身
元陸上競技・マラソン選手、指導者
青山学院大学陸上競技部監督
関東学生陸上競技連盟評議員
■ マラソンを始めたきっかけ
原監督の幼少期は海が遊び場となっており、大変活発な少年だった。
小学校から野球や相撲など、運動神経抜群であった。
小学校4年生、不慮の事故により足を骨折し入院。
これを機にリハビリを兼ねて、ジョギングを始めたのが陸上競技との出会いと思われる。
■ マラソン成績
原監督の成績も気になるところです。
・中学から陸上部、長距離を始め、中1のマラソン大会では、上級生を抑え校内1位。
・進学した世羅高校3年時の1984年主将として全国高校駅伝2位に貢献(優勝:報徳学園)。
・世羅高校OBが監督を務めていた中京大学に進学し3年時に日本インカレ5000メートル3位。
・1989年、郷里の中国電力に入社し中国電力陸上競技部1期生として創設に参加。
・1993年には主将として全日本実業団駅伝初出場に貢献した。
しかし
1年目に故障し5年目の1995年、27歳で引退選手生活を終え、この後10年間、中国電力でサラリーマン生活を送ることになる。
ここで蓄熱式空調システム「エコアイス」を社内で一番売り上げて評価を上げ、新規事業を立ち上げた。「伝説の営業マン」を自称する。
あとで紹介する著書を見ると、この時のサラリーマンとしての経験が後の学生たちへの指導に生きているのだと感じましたね。
原晋監督の凄さとは?
箱根駅伝の出走経験や出場校OBではなかった原監督ですが、36歳のとき、母校・世羅高校の関係者から誘われ2004年、青山学院大学陸上競技部監督に就任することになります。安定したサラリーマン生活を投げ打って監督に就任することに対して当初は奥様の猛反対にあったそうですが、なんとか説得されたようですね。
当初は駅伝強豪校に行くと「大学は素晴らしいけれど、駅伝は箱根に出ていないでしょう」と断られ選手のスカウティングには相当苦労したそうです。
原監督は、普通のサラリーマンからの出発。
監督就任3年で結果を出すと大学側に言ったものの、結果を出すことができず廃部の危機が迫ってきておりました。
そんな状況から
「あと1年! あと1年でいいからやらせてください!」
と訴え見事33年ぶりの「箱根駅伝」出場を勝ち取ることができたのです。
この原監督の絶対に諦めない気持ちが、選手にも響き出場を勝ち取ることができたのではないかと感じました!
原監督と”青山学院大学”のドラマのような感動があったのでしょうね~
原監督の凄さを感じました。
そして、夫婦で勝ち取った「箱根駅伝」出場とも言えるでしょう。
著書について
原監督は出している本もかなり好評のようです。
出版されている書籍をご紹介したいと思います。
なんと!
こんなに出版されていたんですね〜
部下育成に悩みを抱えてらっしゃる管理職の方々は是非読んで参考にしてみてはいかがでしょうか。
まとめ
弱小チームだった青山学院大学を箱根駅伝3連覇・大学駅伝3冠制覇を果たした原監督。今後も一挙手一投足に注目が集まりますね!
というわけで今回は、青山学院大学の原晋監督が凄いという事でご紹介させたいただきました!
最後までお読みいただきありがとうございました。